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  • 執筆者の写真(s)ynergetics

ジャッジ




先日、友達とボコボコひなたぼっこ中


やっぱ時々ジャッジしちゃうよね〜。って彼女が言った。


わたし

「あ〜わかるぅ。たまにインスタ見てて、

なんやこいつ、ダッセーー。めっちゃきもいカメラ目線!

って始まって、

ジャッジするの楽しんじゃってるクソ意地悪い俺がいるよ」


友「Bってさ、ジャッジの心理からほんと遠いとこにいるよね。

なんであんなふうになれたのかな。

っていうか始めからあぁなの?つーかありえる。笑」


( Bとは地球時間からしばしば外れてる愛しのシャーマン)


わたし「そうねえ。。ぶっちぎりに自分愛してるからじゃん?」


がはははは!


「だよね、獅子座だし!!!」ゲラゲラゲラ



獅子座の方スンマセン、これはギャグです。



獅子座だからかどうかはおいといて、

自己愛とジャッジは比例してる

そう思います。


ジャッジする心がむくっと沸いたら、


「あらー、まだいじけてるわたしがいたのねぇ〜」

って、いいこいいこしてあげればいいと思います。


ジャッジなんかして、意地汚い子!なんて

しかっちゃダメです。


よしよし。ってなだめてあげていれば、よろしい。



ジャッジメント(批判精神)事態は必要な視点。


嘘や真理を見抜く鋭い洞察でもあるのですから。

それがあるから向上するし進化も起こる。


でもそこに、必ず「愛」が必要で、

鋭い指摘も愛がベースでなければただの卑屈な批判。


そもそも心の中で呟くジャッジって、

相手に言えない呟き。

愛がないから言えないんだよねえ。



愛があれば、耳に痛い指摘だとしても

必ず真理として相手に伝わる。

時間がかかっても、受け取ってもらえる。

そう信じています。


愛がない指摘の場合、

いずれ自分が気付くことになる。


あれはただの自己顕示欲だったな、とか

相手に罪悪感を抱かせてしまったな、とか


どんなに目を背けて、

自分は悪くない。正しい。

あっちがわかってないんだべさ、

と言い聞かせても、心は知ってる。



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